妖械大百科 其の二十七「ヒノクルマ」
2022/06/20
ヒノクルマ(火の車)は、悪事を犯した人間が死を迎えるとき、牛頭馬頭などの地獄の獄卒が、燃えたぎる炎に包まれた車を引いて迎えに現れるというもの。
ある店の妻は強欲で、召使いに辛く当たっていた。
あるとき、知人が街道を歩いていると、光が飛ぶように近づいて来た。光の中では、鬼のような二人の大男が、店の妻の両手を抱え飛び去って行った。
彼は恐ろしく思って様子を尋ねると、店の妻は病気で数日間寝込んでおり、その3日目に死んでしまった。
この妻は行いが良くなかったため、生きながらにして地獄へ堕ちたといわれたという。
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このシリーズは、古から言い伝えられてきた不思議な生き物を、現代のロボットやAIなどの解釈で表現する事で新しい融合を試みる。
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上賀茂神社の「茅乃舎 Presents 葉加瀬太郎 音楽祭 2022」 コンサートに興奮する…❗️
2022/06/18
6月11日(土)は朝からあいにくの雨が降りだしそうな空もよう、今日は待ちに待った「茅乃舎 Presents 葉加瀬太郎 音楽祭 2022」コンサート。
ここからそう遠くない京都鞍馬から3年ぶりの上賀茂神社での野外コンサート。
3時30分の開演時間ですが早めに入り席に着きました、正面の12列目のとてもいい席でした。
このころから雨が少し降りはじめ、私達も手作りの和雑貨のトートバックの中から合羽を取り出し、会場を見渡すと皆さん全員マスクをし雨合羽を着てのコンサートの始まりでした。
各出演者の衣装にほぼ同じ衣装に合わせた、葉加瀬太郎氏曰く「寄せた、ファッションコーディネート」にて登場に会場の笑いを誘っていました。
変わりどころは、大竹しのぶさん。
「ヒット曲の無い私が音楽祭になぜ出演依頼されたのか考えもしないでOKしたのかと、私も不思議?」と雨中の観衆を笑わせ、やわらげていました。 まるでミュージカルの舞台さながらの朗々とした情感あふれたおしゃべりと歌声を響かせていたのが印象的でした。
最後は圧巻の葉加瀬太郎氏。
NHKの連続テレビ小説のテーマ曲「てっぱん」を奏でた後は、独壇場で次から次へと、
最後は「情熱大陸」で聴衆総立ちで雨合羽を着ての大手拍子でコンサートは終わりました。
本当なら、この緑あふれる木々と神聖な神社で薄暮に掛かるインスタ映えする幽玄な中での大音響と「大バイオリニスト」葉加瀬太郎氏曰く、バイオリンの音を聞きたかったですが、この雨天決行もなかなか経験出来ないことかもしれないと、肯定的に考えて帰路につきました。
マサミでした。
多賀子ブログ=その41
2022/06/15
昨日は時計草が12個咲きました。
毎日今日はいくつ咲いているかしらと何度も数えます。
見えないところに咲いているのがあるので、数える度に数が違って面白い、高い所に咲いていたり、塀のむこうに咲いていたり、朝数えると、昨日咲いていたのか今日咲いたのかがわからない、時計草は1日花なので昼前には昨日咲いたのが萎んでゆきます。山川草木、何て種類の多いことかと、調べても見当たらない事も多く一つ一つ特長があって、自分を主張している様!
花の名前は覚えられないので目で見て覚えます。リビングに大きなガラス窓があるのですが、毎日小さな虫が死んでいます。
蠅なのか?ハチなのか?5ミリにも満たない虫、羽だけが目立ちます。
又、ブルーや赤で横縞になっている、調べてみるとこれもなかなか同じのが見つからない。
良く似ているのが、エメラルドゴキブリバチ、ゴキブリに卵を生んで卵が孵化するとそのゴキブリを食べて大きくなると云うのです。
スゴイ!こんな小さな虫が、その世界では恐ろしい生き物だと云うのです。
綺麗な虫なのに。
二ノ瀬は今日も雨、梅雨入りしたそう!
草木は喜んでいます。
妖械大百科 其の二十六「ハクゾウス」
2022/06/14
ハクゾウス(伯蔵主)は、日本の妖狐、稲荷神である。
ある人物が、龍源院を訪ねた。
その者が言うには、家業不振が続くので、行者に見てもらったところ、もし家にキツネを描いた掛け軸や屏風があれば、そのキツネは修行中の身でもっと修行をしたがっているので、早くどこかの寺に収めるようにと言われたという。
家には確かに堺の伝説を描いた白蔵主の屏風があったが、収める先の見当がつかなかったところ、行者はキツネの望む寺が京都にあるかもしれないと助言した。
そこで京都まで来て歩き回ったところ、龍源院の前で足が動かなくなり、意を決して訪ねたとのことだった。
龍源院でも、かつての和尚が下間に狐窟(こくつ)と銘した逸話があり、キツネと少なからず縁があったため、龍源院の住職は、キツネの屏風に因縁を感じ、申し入れを承諾した。
以来、元の持ち主だった家は平穏に暮らすことができた。
この白蔵主の屏風はその後も、龍源院の下間「狐窟」にあり、一般公開されている。
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このシリーズは、古から言い伝えられてきた不思議な生き物を、現代のロボットやAIなどの解釈で表現する事で新しい融合を試みる。
京都鞍馬は、インスタ映えする豊かな自然が多く、イマジネーションが膨らむこの地で、着物や和雑貨、マスクなどのファッションデザインの絵柄の研究や模索である。
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京都の名所めぐりと新京極通りのゆかり・・・‼
2022/06/10
前回の続きになりますが京都の隠れた名所の案内をさせて頂きます。
先に京都の中心街の寺町を散策中に和太鼓の音に誘われて「錦天満宮での獅子の舞」のお話を書かせて頂きました。
そこから数メートルの四条通に出る手前にビルとビルの間の間口1間ほどの所に「染殿院」と「時宗開祖 一遍上人 念佛賦算遺跡」と書かれた石碑が目に入りました。
中に入るとそのまま「林 万昌堂」という有名な「あま栗」屋さんのお店の中を通って四条通りに出ました。
この安産守護のうん蓄はぜひ現場を訪れて説明書き読んでいただくとして、その近くに建てられていました京都市の「新京極」の歴史の説明の一部を記載しておきますので是非お読みください。
《新京極》
北は三条通りから南は四条通りに至る役500メートルのこの通りを新京極通りと云い、通り名は平安京の最も東に位置した東京極大路(現在の寺町通)の東側に新しく作られた通りであることに由来する。
天正年間、豊臣秀吉が市中の多くの寺院を寺町通りに集めたことに伴い、その境内が縁日の舞台として利用され、周辺は見世物や催し物を中心に発展するようになった。
明治五年、寺院の境内を整理して、そこに新たな通りを作った。
新京極通りの誕生である。
明治十年頃には芝居座、浄瑠璃、寄席などの興業の場や飲食店など多くの店舗が立ち並び、明治三十年代には東京の浅草、大阪の千日前と共に、日本の三大盛り場として知られるようになった。(抜粋)と記してある・・・‼
京都の住人も、今や寺町通りはファッションと古書店の通り、新京極通りは観光客のお土産物店の多く並ぶ通りとして考える御仁の多きことか・・・・⁈
先人に感謝である・・・❍(* ̄▽ ̄*)❍
マサミでした。